シンボルを持った演劇、持たない演劇
May 30, 2007 on 11:51 pm | In DIALY | No Comments近代建築は、帝国主義的な古典様式に対して、新しい建築様式をつくろうとしたわけですよね。それがアンチ・シンボリズムだったのだと思います。替わりに求めてきたのは、純粋性。作家の恣意性をできるだけ希薄にして、できるだけ透明な建築をつくりたいという欲求。同時にそれではその場所につくられるという固有性が失われてしまう。そうした矛盾が一方にある。
国家というものがシンボルを必要としなくなった、つまりシンボライズする対象がなくなってしまった。でも、現代社会が新たな地域社会を必要としているのだとすれば、それを建築がシンボライズする役割があると思う。地域社会が建築にシンボル性を期待している。
「建築をつくることは未来をつくることである」山本理顕氏の言葉より要約引用。
山本氏は塔のようなかつてのシンボルではなく、現代のシンボルとして「構造形式」を重視する。
昨日の部活で、ネタ出しがほぼ終わっているS子チームのHさんが、K藤さんチームの牛乳様ネタ出しを横から見て「うちのチームが薄くなっちゃう」と言っていた。S子チームの題材は「誰と誰がこういう関係で、ストーリー展開はこう」というのはあるんだけど、牛乳様みたいな強烈なシンボルがないから、Hさんはそういう感想を言ったのかもしらん。
そういえば、今までの演劇部のネタだしは、そういう強烈なシンボルがたくさんある方が盛り上がっていたなあ、というのを思い返してみたり。苺ちゃんなんて日本各地のシンボル(名産物)をモチーフにしたからあれだけ大量のネタが出たのでは。
最近の傾向では「キャラクター」をシンボル化することが多いけど、Cheep deep darkness(1997)とかまでさかのぼってみると、あれは芝居の「構造」自体がシンボルになっている。上に引用した山本理顕氏の考えに近い。
ジュヴナイル(2000)やアリスの○○天国(2002)はキャラクターもそうだけど、まず「世界観」がシンボルとしてあって、それを巡るネタ出しが行われていたようにも。
Y野さんがSェルフでやろうとしているのは、アンチ・シンボリズムの純粋性と透明の芝居と思われます、多分。
そんなことを考えてみた。
やってはいけない
May 30, 2007 on 1:47 am | In DIALY | No Comments演劇部。先週は行けなかった。その間に様子を見に行ってくれた三年目組や卒業生の人たちよありがとうございました。そしてN澤さん誕生日おめでとう。
行動の制限付きエチュード、二回やる。前もっての相談ありと相談なしで。
「ピーとしか言えない」K井くんと「一言一言叫ばなければならない」S子(S子が叫ぶたびにピー音が入る!)、「相手にくっついて離れてはいけない」HA日香と「地面に三秒以上足をつけてはいけない」K藤さん(意図の読めない緊迫の追いかけっこ)、「客席から目線を離してはいけない」N元くんの一人芝居(一人やられ大好き)、「ずっとクネクネ」HA日香対「相手に逆らい続ける」M尾くん(二人とも自然すぎてしばらく始まってないかと)、「歌を歌い続ける」N元くんと「麺を食べ続ける」A川さん(だんご三兄弟や泳げたいやきくんを食べさせようとする)などが印象的でした。
チームに別れてミニフェスのネタだし。T野くんのバックアップがあったらしい牛乳様の話がおもしろくなりそう。
いくつか本。だいたい読みかけ。読み終えられるのか怪しいのもあり。

アラビアの夜の種族。T野くんに貸してもらってしばらく放置してあった。おもしろい。架空のアラビア本の翻訳、という手法にボルヘス臭。今二巻目。三巻だけ貸してもらってない。
「建築家が強制するように住まわせていいんですか」と言われることがあります。でもnLDKだって、住まい方を非常に強制しているわけですよ。結局、建築家というのは強制しない限り、ものをつくれないわけです。いくら優しそうな顔をした建築家だって、その建築は使う人に対して強制するという側面を必ず持っています。

建築をつくることは未来をつくることである。世の中は建築でどう変えられるか、を数人の建築家が議論する本。タイトルがかっこいい。脚本家は、その作品の中で役者たちが生活をする器を作る、という意味で建築家に似ている。という訳で「演劇をつくることは未来をつくることである」とか言えたらかっこいいですね。

芸術の設計―見る/作ることのアプリケーション。「芸術諸ジャンルの表現形式を、それぞれの技術を通して見直してみる(まえがきより)」。建築、音楽、ダンス、美術の四つのジャンルについて、それぞれの表現がどのように記録・伝達されるかという記述方法(ノーテーション、例えば楽譜や製図)に注目する本。現代音楽やダンスの記譜法とかエキサイティング。

コンタクト・インプロヴィゼーション―交感する身体。1970年代に生まれた相手の体との接触(コンタクト)部分に意識を置いた即興的(インプロヴィゼーション)なダンス形式と、それをめぐる平等主義・共同体感覚を推進していこうという運動について。「共有」を活動テーマにするRックの稽古に使えないかしら、と思って。

鋼の錬金術師。普通におもしろい。
劇団A彌「少年」
May 30, 2007 on 12:49 am | In DIALY | No Comments★先週いっぱい、Sタッフ塾で劇団A彌の公演にて音響オペをしてきました。ワークショップに参加したはずなのにギャラをもらいびっくり。
★その芝居に山吹演劇部関係者を4人呼んだら、全員が休憩時間に帰っちゃったのがすごいおもしろかった(この芝居を最後まで見ているような山吹っ子であってほしくないというか!)。貴重なお時間ありがとうございました。
★T京Bビロンのスタッフ(小屋付さん&アートディレクター)に誘われた。
★スローだけど重々しくない、スローライフ的のどかさを持ったスロー演劇とは何か。
★集中できないからキッカケをおぼえられない。おもしろいからキッカケをおぼえられる。つまらないから集中できない。集中を促すシステムとしての芝居(脚本)作り。システムで集中する役者と感情で集中する役者。
★演出家はエライのか?
★Aイカワさんはスラムダンクの安西先生に似ている、と言ったら、「なぜわかった」と言われる。韓国では本当に「安西先生」と呼ばれ人気らしい。
すごいんだきっと今年は
May 19, 2007 on 4:02 am | In DIALY | No Comments新たに見学者4人。5組に別れてエチュード。
衣装を引っ張りだしてきてコスプレ大会みたいに。メイクとか。こういう訳の分からない時間は結構大事だと思う。誰がどんな人なのか何をしたいのか得意なのかとかじわじわ見えてくるもの。決めなきゃいけないことは決まらないけど。
人数多くて収拾つかなそうなのでチーム分けすることに。お題にしたがって、チームごとに自分たちで芝居作りをしていく。
なんだろう、エネルギーの動き方がダイナミック。単純に人数が多いこともあるけど、去年組の成長ぶりとか、新入部員のキャラの強さとか、そろそろ引退さんたちの貫禄とか。このエネルギーを止めないで、うまく芝居という器の中に落とし込むことを気をつければ、なんとかなるんじゃないかな?>チームリーダーさんたち
ああ、楽しみだ。
「これ本当に演劇部?」とM子は言った
May 18, 2007 on 2:33 am | In DIALY | 1 CommentTカCリ。人身事故で30分ほど遅刻。メンバーさんの作品を掲示するコルクボードが機能開始。今日から配属という新人スタッフさんも。デイケアのスタッフさんで初めて男性。
京橋のncdというスペースで、ジョージナ・スターの映像作品「セダ」見てくる。
一風変わった80歳の映画ファンとの偶然の出会いによってジョージナは無声映画時代の伝説的人物、セダ・バラ(Theda Bara)を紹介されました。バラは、チャップリンをはじめとする世界でもトップ3にランクインした映画スターでした。セダは1914年から1926年の間に40作品以上の映画に出演しましたが、その中でたった2作品のみ、今日まで現存しています。
今作品は、無声映画時代の初期の映画制作者、ドイツの表現派でシアターディレクターのマックス・ラインハルトとその理論、そして多くの役者の大規模な調査を通して、失った映画からの重要なシーンをアーティスト自身が新たに表現したものです。

ずーっと顔のアップで、刻々と表情が変わって行く映像が良かった。無声映画時代の演技法の再現なんでしょうか。声がない分、表情がすごい豊か。かわいい笑顔から獣のような顔までゆるやかに変化する。
THEDA
演劇部。新たな見学者Y山くん。今日は14人くらい来てます。
4チームに別れてエチュード。A子のマゴギャル、T内くん(囲碁部)のヨーヨー役が本日のMVP。
K藤さんの京都土産で生八つ橋をいただきました。久々に食べた。
その後、ミニフェスのネタだしをするつもりが、おんぶしたり追いかけっこしたりおんぶしたままジャンプしたりにぎやかなことになりました。
Sタッフ塾で作った水牛仮面が人気。去年の小道具とかもいくつかピックアップして表に出しておくと、みんな遊んでくれておもしろいかも。
サイゼリア。Y山くんのリードでたけのこにょっき(?)とか山手線ゲームとか腕相撲とかした。
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